田村とイクラちゃんのスマホからもブログ更新できるようにしといたからと中野からLINEが来ていたので普段twitterの文字数制限に阻まれて書けないことをこっちのブログで書いていけたらと思う
バスの昔のホームページ(魔法のあいらんどっていうきっと若い人は知らないガラケーで管理できる超シンプルなやつ)では一応メンバー4人ともブログを持っていた
その超シンプルな構造上、ホームページ内にてブログを保持できるのは1人だけで後の3人は別途で魔法のあいらんど内でホームページを作りそこで作ったブログのリンクを貼るという今思えば非常に低スペックな、、、まあそんなことは置いといて
4人ともブログを保持していたとはいえ今のtwitterと同じような状況というか割りとマメに更新するのは僕だけで他の3人は殆ど更新しなくて極たまに何か書くくらいのスタンスで、いかんせんメンバーである僕がこんなことを言うのは非常に気恥ずかしいが三者三様に個性とセンスと癖が溢れていてバスの空気感みたいなものが良く表れていたと思う
特にバンド仲間やマニアックなお客さんから非常に高評価を得ていたのがサワッチのブログで相当な読書家でもある彼だからこそ展開できる文章力と天才的な発想力を持ってして独特なサワッチワールドを築き上げていた
と、前置きはこれくらいにして記念すべき続・亮太の気まぐれ日記第1回は今さらながらバスが再結成に至った経緯について、、、本当に今さらながらやけど
僕たちが活動休止したのが2008年、今から11年前のことである
今でこそ社会人バンドという言葉もすごく普及していて、実際に会社員をやりながらレーベルに所属してCDを出したり全国ツアーをしたりとバリバリ活動している人たちがたくさんいるが、当時は社会人バンドっていうとどっちかというと趣味でやってます的なニュアンスの方が強かったような気がする
大学の在学中からバスをやっていてプロを目指すんだと思っていた僕たちに就職をするという選択肢はなかったし、就職する時はバンドを辞める時だとも思っていた(働き方改革とか有給取りやすくなってきてるとか、そういう社会的な背景で考えても当時は就職しながらバンドをするってのがイメージしにくかったのかもしれない)
結成した時からイクラちゃんが30歳になるタイミングで(僕らより3つ歳上)売れてなかったら就職して趣味でやったらええやんてのは言ってたので2008年の活動休止は必然的というか聖飢魔IIが1999年に解散したのと近しいものと考えてもいいと思うくらいだ(絶対違う)
今思えば僕たちには絶対売れてやるみたいな上昇志向というかハングリー精神みたいなものが足りてなかったような気がする、ただ4人で曲作るのが楽しくてライブするのが楽しくて打ち上げするのが楽しくて、あぁこんな日がずっと続けばなーみたいな感じというかこんな生活でバイトせずに音楽でお金貰えたら夢のようやなみたいな
メンバーで共同生活してたくらいやから凄い覚悟持ってやってたみたいに思う人もいるかもしれないけど、一緒に住んでたのも只々経済的なこととか、活動する上で便利やからとか、単純に楽しかったとか、そんな理由でしかない
本当辛かった記憶がほとんどなくて楽しかった記憶しかなくて、プロになる為に血の滲むような努力をしたかと聞かれるとうーんと首を傾げてしまうくらいで
それではプロになれないのも当然の話なわけで、でも逆にそんなんじゃプロになれねーよって熱血漢なメンバーがいたらいたで長続きしなかったんじゃないかとか、僕らの曲のあの感じは出せなかったんじゃないかとか、まあ全部売れなかったバンドの負け惜しみじゃないかとか
まあ何にしろバスの最大の短所であり長所でもある揺るぎないユルさは当時から随所に見られていて、自分で言うのも何やけどこのユルさを食い止める最後の砦が田村やと思っていたので謂わゆる渉外的な部分とか広報的な部分とかバンドのお金の管理とか何や言うたらバス邸の住民たちの洗濯からシャンプー石鹸の買い足しまで、ギターボーカルと雑務は自分の仕事だと思っていたくらいだ
そんだけやってたからこそ、毎回打ち上げで記憶なくなるまで飲んでもちゃんと連れて帰って貰えてたのかなと思ったりもする
中野は中野にしか出来ない仕事をスムーズにこなしてくれたし、イクラちゃんはめっちゃ運転してくれたし、サワッチは丁寧にひとつひとつの小ボケを見落とさずに全部突っ込んでくれたし本当にバランス(バンドとして大事なのは音のバランスやけどね)が取れてたなーって我ながら思う
そんなことで就職して落ち着いたらまたゆっくりやればいいやって感じで活動休止に至った
実際に休止して一年くらいでライブやってるし、なんか流れでミナミホイールにお呼ばれしたりとか休止中とは言え誘ってもらったら出ますよくらいの時期が何年かあって
そっからサワッチが地元に帰っちゃったので4人でライブはできへんなーみたいな時期があって、今から3年くらい前にアシガルユースから久しぶりにライブやろうよーって声を掛けてもらってサワッチが大阪におらんのですわーって言うたらソウタさんがサポートするからやろうよーって僕たちをライブハウスに引きずり出してくれた
立て続けにグラジャガのイベントに呼んでもらってやっぱバンドは楽しいなーってなってずっと再結成したいしたいと思いながらズルズル時が流れて久しぶりにタイヨウ系のライブを見に行った時にタイヨウ系のベースのしんちゃんがサポートやりますよって言ってくれて、とりあえずスタジオ入ろうぜってなって、twitterのアカウント作ろうぜってなって、何も決まってないのにイクラちゃんが勝手に4月29日に再結成イベントやりますってツイートして
そっからのイベントをするに当たっての段取りは勿論、雑用係の田村がやることになったけどイクラちゃんが勢いでツイートしてくれて良かったなと思っている
定期的にスタジオに入って、何かいいアイデアがあれば新曲に取り込もうっていう感覚でサラリーマンをやるのも中々に楽しいもんである
というわけで劇的な何かしらがあったから再結成したとかではなくて、まあタイミングだったっていう話なんですよね
で、休んでる間も頭の片隅にタイミングが合えばまたバスやりたいなーってずっと思い続けることができたのはかつてのライバルたち、わかりやすい例で言えばユニゾンが着々とスターになって行くのを目の当たりにしたり、休止中も定期的にライブやろうよーって連絡をくれたアシガルユースの存在があったり、パパになっても音楽をやり続ける朝倉さん率いるタイヨウ系の存在があったり
俺もまたライブやりたいなーって常に思わせてくれる仲間たちがいたことには声を大にしてありがとうと言いたい
再結成の一年後にまさかユニゾンスクエアガーデンと対バンしてるとは夢にも思わなかったけど
そんなわけで書き出すと思った以上に長文になってしまったけど、定期的に更新したいなと思うのでお付き合い頂ければこれ幸いでございます
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